「香水変えた?」
「いいえ」
「なんか梅の香りが」
紀子は何も言わず微笑んでいた。耳たぶのうぶ毛がショーウインドウのガラスに反射
した光の中で輝いていた。紀子の唇の感触が、梅の香りと共に茂夫の唇に纏わり
ついていた。これは忘れることが出来ないかもしれない、と茂夫は思った。その日一日、
梅の香りに包まれたような紀子と肩を並べて街を歩いた。
茂夫は打っていた仕事のメールを中断し、新規メールの窓を開けた。アドレス帳で
紀子のアドレスを探し出し、選択したところで指を止めた。庭に目をやると、梅の小枝
を髪で包もうとしていた妻の冴子と目が合った。
「まさか」
悪戯っぽく微笑んでいるように見えた冴子から目をそらし、茂夫はメールの窓を閉め、
ノートをたたんだ。そしてもう一度、人差し指で唇をそっと撫でた。
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