フリージア (その7)
                  
紀子が夕食の献立を考えようとした矢先、

「今日、中本工業の大野さんが昭和産業の購買担当を連れてくるらしい。」

受話器を置いた夫が言った。孫請けか、そのまた下請けかは分からないが、

昭和産業の外注品を手がけていることを紀子は夫から聞いていた。それが遅れ

気味で、夫は昨日、夜を徹したことも知っていた。

紀子は、献立を考えることを中断し、家を出て花屋へ向かった。季節が巡って

きたことを見過ごすところだった。どうしたのだろう。こんなことは結婚以来初め

のことだった。店先には早春の切花が溢れていた。フリージアは年毎に色数

が増えていくような気がした。紀子は迷うことなく黄色のフリージアを指差して

いた。

           

 

紀子は押入れから花器の紙包みを取り出した。外側の包み紙を解くと、高校を

卒業した春、上京するために乗った電車の窓を開け、駅のホームの茂夫から受

け取った時の包み紙が現れた。その紙を丁寧に解いた。織部の一輪挿しが現れ

た。流しで水を入れ、短めに切った黄色のフリージアを挿すと、そのまま作業場へ

行き、隅の台の上に置き、ちょっと形を整えた。仕事に懸命な夫には声をかけず、

作業場を出た。ドアを閉めつつ振り返り、織部に挿された黄色いフリージアを確

かめた。作業場の隅に、自分の心が佇んでいるように、紀子には思えた。

夕飯の用意をしている紀子に、昭和産業の購買担当者らしい人の声が、かす

かに、しかしなぜか懐かしい音のように聞こえた。紀子は作業場のフリージアを

思い、いつもの年のように春を感じていた。


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