茂美には遂に夫に見せずに終わったワンピースが一着ある。いつか仕立て直して着たいと思っている。その日の来るのを今も少女の心で夢にみている。
「何もなかったヮ」茂美はつぶやいた。
何をと訊かれると答えに窮してしまうが、何か起こらないかしらと淡い期待を胸に秘めた茂美の夏が、最後の一頁をめくろうとしていた。
遠い山並みの手前に横たわる雑木林が茂美の部屋の窓から見える。その窓ガラスの一番下の端に、自転車に跨ったまま、右手に花をかざした紀夫の姿が目に入った。はにかみながら差し出されたりんどうを受け取り、香りを嗅ぐ仕種に紛れて、茂美はそっと一輪に唇を当てた。その年の茂美の日記は、その日の一頁があればそれで十分だった。
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