スイートピー     (その13)
                  

改札機から抜き取った定期券を内ポケットに仕舞いながら、紀夫は今日が結婚記念日であることを思い出した。結婚記念日には真紅のバラを買うのが紀夫のここ何年もの慣わしだった。しかし、今日はどういうわけかそれを忘れていた。改札脇の花屋には、今日の結婚記念日に必要な18本の真紅のバラは無かった。店の奥のほうにあったスイートピーの淡い色が紀夫の目に留まった。
「スイートピーか。いいかもしれないな。」

紀夫はピンクのスイートピーだけを30本、プレゼント用の束にして貰った。薄紫も、白も、そして黄色もよかったが、結局ピンク一色にして貰った。理由は無かった。ただ、ピンク一色がいいと思っただけだった。

駅から自宅までの歩道をピンクの花束を持って歩くのは、どうも落ち着かない。行きかう人の目がいやおう無く紀夫の方に向かってきているような気がした。うつむき加減に歩道を歩きながら、紀夫は結婚当初のことを思い出していた。


      

結婚した年の秋、妻の圭子は買ってきたスイートピーの種をプランタンに蒔き、日当たりのよい庭の片隅に置いた。年が明け、春の気配が感じられるようになると、移植されたスイートピーは勢いよく蔓を伸ばし、結婚記念日を過ぎた頃、沢山の可憐な花を開いた。花を愛でる圭子の目は、どこか遠くを見ているように紀夫には思えた。

それが数年続き、長男が生まれた年を最後に、圭子はスイートピーの種を蒔かなくなった。
あれほど熱中したスイートピーだったが、次男が生まれてますます忙しくなり、スイートピーどころではなかったのだろう、と紀夫は思った。それからずっと今日まで、庭にスイートピーが咲くことはなかった。

今日の結婚記念日に、バラではなくスイートピーの花束を手にする圭子の顔を想像し、紀夫の足は速くなった。

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