夫のボブは、夕食のビールの眠気に抗しきれず、ソファーで眠り始めてしまった。二人分の食器を食洗機にセットし、ボタンを押して、紀子は自分の仕事部屋に入った。迷うことなくピアノ小品集「たんぽぽ」のCDをトレーに乗せ、中指で押した。スピーカーからキーボードの音が床の上を転がりはじめた。紀子は目を閉じた。
春の陽がカーディガン越しに心地よい日だった。紀子は茂男を電話で誘い出し、多摩川の河川敷を上流に向かって歩いた。春の嵐が残していったチリが舞っているような空だった。その中で最も青いところを選んだように、白い雲が浮かんでいた。散歩道の足元にタンポポを見つけると、茂男はそれを抜き取り、紀子のカーディガンのボタンホールに差し込んだ。紀子は胸のふくらみで茂男の指を感じた。
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