夕食の後のコーヒーを淹れた。2度目の米国出張の時に買ってきたイタリア製のカップを食器棚の奥から久しぶりに取り出してコーヒーを注いだ。カップから漂う香りを楽しみながら茂男は書斎へはいった。ノートPCの電源を入れた。いつのまにか虫の声が聞こえなくなっていることに気づいた。ファンの音だけが唸るように部屋に響いた。机の上のフォトスタンドのガラスの向こうから、歳を重ねていない妻の杳子が微笑みかけている。
今夜は何を聴こうか。決めあぐねながらメールボックスを開いた。リストの中から「紀子」の二文字が茂男に声を掛けてきた。すぐにでもそのメールを開きたかったが、何十ものジャンクメールをまず削除した。読むべきメールだけが残った。ポインターを「紀子」の上にもっていった。紀子の頬を突くようにクリックした。
鍵盤の上に真紅のバラが一輪。ソフトフォーカスの写真をバックに、
「お誕生日おめでとう。お元気ですよね?
お祝いにピアノの小品を一曲お贈りします。
私のお気に入りの rakira さんの「たんぽぽ」です。
こちらのurlからどうぞ。 http://www.nor ・・・・・・。 紀子」
URLをクリックすると、身体を引き上げてくれるように、キーボードで奏でる曲が流れてきた。茂男は、この曲が今気に入っているという紀子を想った。
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