「今年は30周年よね。」妻の紀子はそう言いながらコーヒーを乗せたトレーをテーブルに置き、持っていたアルバムを開いた。紀子をミモザアカシアの下に立たせて茂男が撮った写真があった。久しぶりにその写真を見た茂男は、あの時自分は誰を撮ったのだろう、と思った。
モンパルナスのル・セレクトのテラスにケイの姿はまだなかった。茂男はガルソンにコーヒーとクロワッサンを注文して時計を見た。丁度ケイと約束した時間だった。
茂男のロンドンでの仕事は順調に片付いた。茂男がパリで一泊してから成田へ向かうことを知ったケイは、「シゲオ、明日ル・セレクトで会いましょうか。私も月曜日にモンパルナスの書店に行く約束がありますから。」
ギャルソンがコーヒーを運んで来るのと一緒にケイが茂男の隣の椅子に腰掛けた。仕事の話抜きのケイとの会話は、映画から音楽に移り、更に花へと飛び、早春のパリはミモザアカシアだということになった。するとケイが、
「シゲオ、ランチは私の泊まるホテルで一緒にどう? 中庭にミモザアカシアがあるの。」歩いて行くにはちょっと遠いというのでタクシーを拾った。ポン・ヌフを渡り、ちょっと走ると上り坂が増えてきた。タクシーから降り、歩道に面したどこにでもあるような扉を開けると、そこはテーブルが10卓ほどしつらえてある中庭だった。隅にミモザアカシアの木が一本、早春の陽を浴びていた。
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