「家のことは心配しないで。」
電車に乗り込む弟に紀子は言った。
茂男が紀子の手の届かない遠くへ行ってしまったように、弟の登志夫にも、この家から自由になり、思い切り広い世界へ飛び立って欲しいと、紀子は心から思っていた。電車がホームから離れ、やがてカーブの向こうに消えると、小学5年生になる春、このホームで同じように見送った茂男のことを、紀子は思い出していた。
小学一年生。
紀子の隣の席は東京から疎開してきていた茂男だった。男の子は全員坊主頭の中、茂男だけは坊ちゃん刈りだった。それから4年間、紀子と茂男はずーっと同じクラスだった。茂男の家族が疎開していた家が紀子の家と近かったこともあり、学校から一緒に帰り、紀子の家でよく遊んだ。
「この桐の木はね、私がお嫁に行く時に切るんだって。お父さんが言ってた。」
「ふーん。どうして。」
「知らない。」
二人の頭上で、薄紫の桐の花が五月の風に揺れていた。桐の木の成長に合わせて、茂男の存在が自分の中でも大きくなっていくことを紀子は感じながら高校生になった。
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