待 宵 草      (その23)
                  
女性のメル友が数日前に「待宵草に何か想い出がありますか」と訊いてきた。
何を書こうかと迷っていたが、
「一番大事にしている想い出については、ここでは書けませんが」と断り書きをしてから、茂男は書き始めた。
    
   
その日の最後の授業が終わるとき
「今日は十五夜ですね。天気もいいし、きっときれいなお月様が見れますね。」
と先生が言った。十五夜なら、母はもうお団子を作っているかもしれない、と思いながら帰った。二階の机の上にかばんをおいて階下に下りると
「茂男、今夜は十五夜だから畑へ行ってススキを切ってきておくれ。」と母が言った。
お団子に使う餡子を少しへらで手のひらに乗せて貰うと、それを食べながら茂男は鋏を手にして畑のはずれの雑木林へ向かった。

近道があったが、まだ沈むまでには時間がありそうな日の高さだったので、茂男は少し回り道をすることにした。その道の途中にクラスメートの宏美の家があるからだった。案の定宏美の家の二階の窓があいていて、そこから中で宏美が練習しているピアノの音が聞こえてきた。茂男は林へ急いだ。帰りにもまだ聞こえるかもしれないと思って。

西日を浴びたススキの穂が金色に、あるいは銀色に輝いて見えた。ススキに向かって走ろうとすると、足元にりんどうが咲いていた。二本あったのでそれを鋏で切った。それからススキのところへ行き、格好良く伸びているのを選びながら、左手に一握りになるくらいの本数をあちこちから切り取った。これくらいでいいだろうと思ったとき、近くに吾亦紅があったのでそれも切り取った。
   
   
林の中の小道を家の方角へ向かってゆっくり歩いたが、途中から少し速足になった。林から出た道端に蕾が開きかけた待宵草の茂みがあった。茂男の好きな深い黄色だった。蕾の多くついているのを選んで数本切り取った。宏美のピアノの練習が終わらないうちにと茂男は急いだ。窓は閉まっていたがピアノの音は聞こえていた。茂男は教室で見たことのある鍵盤の上を踊る宏美の指を思い描いた。同時に、目を薄く閉じて軽く頭を振る度に揺れる長い髪を思い描いていた。ピアノの音が止まった。気がつくと茂男の足は宏美の家の前で止まっていた。窓が開き宏美の姿が見えた。茂男は思わずススキを握っていた手を宏美に向かって上げていた。窓から宏美の姿が消えた。

宏美は家から出てくるのだろうか。茂男は慌てた。急いで待宵草3本とりんどう1本を分けて、宏美の家の郵便受けの上に乗せて足を速めた。もう玄関を出たかな。もう郵便受けに来た頃かな。花だけ置いてきた自分をどう思うだろう。茂男は気にはなったが、直接渡す勇気はなかったのだから仕方ないと思った。

家に帰ると庭に面した廊下にテーブルが置かれ、その上にすでにお団子が鉢に盛られて置かれていた。ススキとりんどうと吾亦紅を渡すと、母が花瓶に挿してテーブルの上に飾った。空には満月が見えた。夕陽を受けたススキと、つき明かりの空をバックにしたススキの趣の違いに茂男は驚いた。

茂男は待宵草とりんどうを挿した花瓶を手に2階の部屋へ上がり、机の上に置いた。宏美は待宵草を飾ってくれただろうか。さっきよりこころなしか開いた花をみながら、茂男は宏美の家の方角の空を仰いだ。宏美はあの月を見ているだろうか。いまさっき聴いたピアノの音が聞こえてきたような気がした。待宵草の花がまた少し開いたように見えた。
    
    
メル友になって数ヶ月になる女性は、その文体や話題の範囲から、ひょっとしたら妻の紀子かもしれないと茂男は思い始めていた。この想い出を読んだメル友の反応がどんなものか。書き終わってから茂男は楽しみになってきた。
   
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