残 菊        (その25)
                  
あれは、庭の隅に咲いた残菊を短めに手で折って病床の母のいる部屋の床の間に飾ったときだった。紀子の心の奥底に大事にしまわれて、繰り返し、繰り返し呼び戻され、そのたびに映像の輪郭が確かなものになっていったその映像をまた思い出し、懐かしい人が訪ねてくるような予感がした。     
    
    
中学生だった晩秋の日曜日。
映画館のロビーでクラスメートの茂男と待ち合わせて、「野菊の墓」を観た。紀子は涙でぼやけたスクリーンの端に、茂男が指で涙を拭っているのを見つけた。

帰りは一緒のバスに乗った。二人とも周囲の目に無頓着になっていた。さいわい、知り合いは乗り合わせていなかった。二人とも最寄のバス停では降りず、終点まで行った。そこから30分ほど歩くと家並みはなくなり、緩やかな棚田の中の細い道に出る。その先にある稲作用の用水池までは並んでは歩けない道幅になる。茂男が先になりゆっくり歩いた。小さく振る茂男の右手が何かを待っているように見えた。紀子は、振った手が思わずそうなったように自分自身に装って、その手にちょっと触れて見た。その瞬間だった。茂男の意思が指を通して紀子の心臓を揺さぶった。

用水池の畦の枯れた芝生に並んで座り、盆地の彼方に聳える南アルプスを眺めながら紀子が一方的に話した。ほんの少し話が途切れただけのはずなのに、永遠の沈黙のように思えたそのとき、茂男が傍らの菊を一本折って、既に枯れている葉をすべてそぎ落とし、黙って紀子に差し出した。黄色かったはずの花びらは、赤い紫に向かうような深い色合いになり始めていた。

中学の卒業式が終わると、もともと東京の人だった茂男は、家族ともども東京へ移り住んだ。紀子の茂男との思い出は、そこで終わっている。それから数回の季節のあいさつで茂男との交信は途絶えていた。
     
    
あの予感のあった日から数日たった日の午後、玄関に客があった。茂男だった。
母も懐かしがり、ひととき母を交えて昔話が続いた。やがて紀子は母の表情に疲れを見つけ、昔話を切り上げて、茂男を居間に案内した。思い出話はいつの間にか互いの近況報告になり、紀子が心のスクリーンに繰り返し映してきた映像と同じものを茂男も大切に胸にしまっていてくれたことが紀子は嬉しかった。
    
    
茂男と同じ時間を共有してここまで生きてこれたことに紀子は感謝している。
夏に始めた紀子の日常を書くブログも大分ページが増えた。

茂男との日常の会話に不満があるわけではない。だが、時にはもう少し話しに乗ってきてくれるといいのに、と思うことはある。思っていてくれることは分かっていても、やはりそれを口にして欲しいときもある。そんなことも紀子は書き込むことがある。だがアドレスは誰にも公開していない。

その秘密のブログに、最近コメントが付くようになった。誰かに知られるところとなったようだ。どうやら男性らしい。紀子の心情を理解しながらも、男の側につくようなコメントだ。しかし、そんなことは問題ではない。紀子はその書き手との交流を楽しみ始めた自分に気づいていた。

庭の隅に今年も咲いた菊が茂男の好みの風情になってきた。数本を切り取り、
枯れた葉をそぎ落とした一本を母の仏壇に飾り、残りは枯れた葉をそのままにして
花器に挿した。いつもの年と風情が違うことに紀子は気づいたが、そのままにした。
   
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